介護力
世の中には様々な疾患があり、それに伴う症状も様々です。介護をする環境や技術、そして意欲等の介護力の不足、あるいは疾患に伴う症状の重症化によって、それらが介護をする側の介護力を上回り、介護者の体調に支障をきたす場合があります。
在宅介護をしていて介護の限界を感じる時が、それら介護の負担因子が介護を行う側の介護力を上回る時です。そして、在宅では無理ということで施設を決断することになります。これまで自宅で暮らしてきた家族にとって、たくさんの思い出とともに施設入所を考えることは、多少なりとも複雑な感情が伴います。
健康寿命という言葉があり、その期間を延ばそうと色々試されていますが、どうしても人生の最期において約10年間介護が必要な期間があると言われています。明治初期は人間の平均寿命は30代後半で、50歳まで生きれば長寿と言われました。現代は医療の発達もあり、乳児死亡率の低下を始め、男女の平均寿命も80歳を越えています。良い事のように思えますが、これは人間の行いであるために自然の摂理に反していることから、医療費などの国の財政、介護力、介護離職の問題など、様々な方面で無理が生じていると思います。
少しでもこの無理を軽減するためにも、介護力の向上も一つの方法ではありますが、やはり医療や介護分野を始め社会に求められることは、新薬の開発や病気の治療、人としての生活を維持することを意識した介護などの関わりで健康寿命を延ばし、介護が必要な期間を短くすることだと考えます。いつの日か介護が介護を受ける側、介護を行う側の双方にとって負担の無い期間であり、笑顔で最期を迎えられるものになることを願います。
在宅介護への思い
デイサービスなどの在宅サービスを利用しながら、少しでも在宅での生活を維持したいと思っている方は多いと思います。
しかし、自宅での介護負担が大きくなると、施設サービスのことも考えるようになると思います。
介護の仕事を通じて、認知症の高齢者と関わる中、記憶の障害は当然ですが、失認や失行、また周辺症状として暴言、徘徊などの症状があると、介護するご家族自身の負担だけでなく、他者への迷惑や負担をご家族が気にするようになります。その時、自宅での生活を続けるか、施設入所を考えるか、ジレンマに陥る事例が最近ありました。
私たち介護者は、認知症の高齢者ご本人のことを優先しますが、一方でご家族のことも考えなければならず、少しでも家でみてあげたいと思っているご家族が施設サービスの話をされた時は、ご家族の健康も大事にしたいですが、ご本人のことも考えたいし、何を優先したら良いのか考えさせられます。
認知症サポーターとして
仕事帰りに、街灯の無い暗い道を歩く男性の高齢者がいました。認知症の方が道に迷っているような様子は窺えませんでしたが、大変寒い中夜道をゆっくりと歩かれていたので、心配もあり、歩いて近付いて声を掛けました。
私「こんばんは。このような寒い中、どちらに行かれるのですか?大丈夫ですか?」
男性「私は体があんまり良くないから、散歩してるんです。ありがとう。」
暗い夜道で突然声を掛けたら男性を驚かせてしまうのではと思いながら、勇気を出して声を掛けましたが、上記のようにお話して下さり、笑顔も見られて不安が消えました。最後は挨拶をしてその場を離れました。
今回は認知症の中核症状や周辺症状は見受けられませんでしたが、これが認知症の方だったらどのような応対になるのか考えさせられました。
初めての投稿です
どんな記事を書いたら良いのか......。
漠然とですが、仕事や生活について書いていければと思っています。
仕事は介護の仕事をしています。
仕事以外で生活の中心は子供で、一緒に出掛けたり、勉強をみてあげたりしています。
また、親の介護もしています。
そんな中で、友人や親戚など親しい人との時間や、将来のことを考えたりなどの一人の時間が癒しの時間です。
もし、このブログを読んで下さる方がいらっしったら、どうぞ宜しくお願いします。